なんか病んでる人みたいなタイトルですね。
でも僕は、昔から常々考えるんです。
「自分にとって幸せってなんだろう?」って。
幸せが自分の考え方次第っていうのはわかってます。
結局、幸せを感じるかどうかって人の主観ですし、自分が幸せだと思いさえすれば、たとえ他人から見て貧乏だろうが悲惨だろうが、幸せに間違いないです。
あなたは考えたことないですか?
別に僕は今暇ってわけじゃないですよ。
やらないといけないことはたくさんあります。
でも、どうにもやる気が起きない状態なんですよね。
なぜやる気が起きないかっていうと、
「それやって何の意味がある?」
っていう自分自身の中の無意識の問いかけ?みたいなものが常にある中で、今、その問いかけの声が大きくなっているからなんです。
こういうとき、たいていYouTube見たり、携帯でどうでもいいニュース見たり、とにかくボーっとしてしまいます。
でも、せっかくなら、僕と同じようにやる気をなくしている人と気持ちを共有したい、伝えたいって思うわけです。
同じような人がいるかわかりませんが。
要は、この記事を書きながら、自分の幸せに対する考えを吐き出して、あわよくば整理したいなあって思う所存です。
自由すぎる(笑)
お金がたくさんあるのが幸せか?
幸せの指標の1つとして、どうしても外せないのがお金ですよね。
そりゃ、僕もお金はほしいですよ。
お金がたくさんあれば、やりたくないことをやらなくていいし、やれることの選択肢も広がります。
でも、大金持ちになりたいってわけでもないんですよね。
こだわりは年々少なくなっている
若いころは、結構細かいこだわりありました。
思い出してみると、まず、革靴。
高校生の頃に、革靴に目覚めました。
親がREGALの革靴を愛用していたこともあって、最初はREGALの革靴を買ってもらったような記憶があります。
そのこだわりは、30代に入る前後まで続き、今でも家においてあります。
1足高いので2万近くしました。
でも、今は履いていません。
特に理由がない限り、基本的にサンダルで動き回ります。
革関連は結構好きで、靴だけじゃなくて、財布から、手帳、ジャケットに至るまで、いろんなところで革製品を愛用してました。
財布なんて、一時期、1つ7万円~15万くらいするものを5つくらい持ってました。
まめにオイルで磨いたりして、こだわっているときは、1月ごとに使う財布を変えていたくらいです。
じゃあ、今はどうなったか?
手帳は、Googleカレンダーにとってかわり、財布も処分できるものは処分し、今は2つのみです。
この2つも、単にリサイクルショップに持っていって買い取ってもらえなかったから持っているだけで、特にこだわりがありません。
2つのうち、丈夫そうな1つだけを使い、もう1つは埃かぶってます。
この埃かぶっているのが一番高かった15万円の財布なんですけど。
服装に関しても、変なこだわりがあって、
「革靴に革じゃなくてもジャケット着用、サングラスもレイバンをかけてないとかっこ悪いでしょ」
という感じで、大学ではかなり浮いてましたね。
特に、外国人留学生には印象が強いのか、クスクス笑われたり、何言ってんのかはわからないけど声かけられたりしました。
それが、今は上下ジャージですよ。
多少ちゃんとした格好をしたほうがいい場合は、ジーパンにシャツくらい。
靴下も用途ごとに色を統一して、選ぶ必要ができるだけ少ないようになってます。
この変化は、若いころは回りの目を気にしてた(自分なりに、実際はかなり変な奴だと思う)のに対し、今はあまり気にしなくなってきたことが原因です。
「こう見られたい」
という欲求がなくなってきてるんですよね。
あと、僕は食べ物に関してもこだわりないです。
お腹がすいてなければ、1食抜くときはしょっちゅうですし、嫌いなものでなければ、同じものを1週間くらい食べ続けても気持ち的には平気です。
栄養的に同じものばかりはまずいと考えて、多少は違うものを食べるようにはしてますが、他人から見れば、ほぼ同じようなものを食べてるように映ると思います。
このようなこだわりの減少は誰でも起こってくるのでしょうか?
それでもほしいものはある
ほしいものがどんどん減っている僕ですが、ほしいものがまったくなくなったわけではありません。
仕事に関連するものを除くと、昔から常にあるのは、「車」です。
しかも、誰もがうらやむような有名な高級車ではなく、年代で車種は変われど、自分なりの好みのものがほしいのです。
ちなみに、今ほしいのは、リンカーンナビゲーターの2015~2016年あたりのフォードが日本から撤退する前のディーラー車のもの。
上の画像はChatGPTにイメージ書いてもらいました(笑)
想像以上に実際に近いので使いました。
リンカーンナビゲーターに乗るのに、もちろんお金は必要ですが、それ以上に
「こんなでかい車を俺が乗れるのか?」
という不安がありました。
車幅で2メートル数センチ、車長で5メートル30センチほどあります。
これに関しては、多少小さくなりますが、今はフォードのエクスプローラー乗っているので、不安はなくなってきてます。
後はお金の問題ということになりますが、高くても600万円くらいのものなので、他のものを一切振り切れば買えなくもない金額です。
ほしいものが買えれば幸せなのか?
ナビゲーターを買えれば幸せになれるんでしょうか?
おそらく、気持ちは高揚すると思いますが、幸せかどうかはわかりません。
もしかしたら他にほしい車が出てくるかもしれませんし。
もちろん、幸せにとって大事だとは思いますが、絶対ではないとも思います。
今のエクスプローラーもいい車で、いい調子で動いてくれているので、大きな不満もないですしね。
お金に関しては、めちゃくちゃ贅沢をしたいわけではないですが、「これがほしい、これがやりたい」と思ったときに、問題なくすぐに払える程度あれば、僕の幸せの状態に足りるのかなと思ってます。
人間関係が充実していれば幸せか?
友達がたくさんいて、常に遊びに誘い誘う相手がいる、そんな人を何人か僕も知ってますね。
でも、僕自身は、その人をうらやましいと思わないわけですよ。
基本的に1人でいるの好きですし。
最近は特に1人でいる時間を増やそうとしている部分もあります。
もし、誰ともまったく会えずに過ごせるようになったら、また考えは変わるかもしれませんが、今のところはできるだけ多くの時間を1人で過ごしたいと思ってます。
いつからかはわかりませんが、対人関係がすごくストレスというか、疲れを感じるようになってるんですよね。
たとえ、仲がいい人でも。
気を使ってないつもりでも、無意識の相手の気持ちがどうかなどを、正解があるわけでもないのに考えてしまって、おそらく疲れてしまうんだと思います。
異性に関しても、もういいかなという気持ち
若いとき、特に20代の前半まではモテたいとか思ってましたよ。
いろんなモテ情報を探してネットサーフィンしては、試してみたりしてた時期もあります。
服装は変えませんでしたが(笑)
でも、今では、本業でもう60を過ぎたお客さんの、女の子と遊んだ話を聞かされたときですら、うらやましいとは思いません。
逆に疲れないのかな?と心配するくらいです。
男ですから、女性と過ごしたくないか、と問われれば、「まったくそんな気持ちはない」と言えばウソになります。
でも、それ以上に、人と一緒に過ごすことに対するストレスのほうが上回ってしまう、というのが正直な気持ちでしょうか。
必要ないと感じる他人とのかかわりに割く時間がもったいないと思っているのでしょうか?余裕がない状態なのは確かだと思います。
人間関係に対する二面性
人に接するにあたって、僕の中で2つの人格が顔を出して戦っているような気がします。
一方は、①自分が接する人間により良くなってほしい。幸せになってほしいと思う自分。
もう一方は、②相手がどうなろうが自分には関係ないだろう、と思う自分。
普段人と接しているときは、なんとか②の自分を抑え込んで①で接するようにしています。
しかし、たまに②が強烈な一撃をくらわしてくることがあるのです。
人でなしですね(笑)
なんとなく、連絡先リセットする人の気持ちがわかるような気がします。
できることなら、1度、1か月くらいすべての人間関係をシャットアウトして過ごしてみたいです。
そうすれば、もしかしたら寂しさを感じて、また違う考えが生まれるかもしれません。
仕事が充実していれば幸せか?
僕は、大学を卒業して新卒で入った会社を4か月でやめています。
それから、アルバイト→アルバイトしながら個人事業主開業→個人事業主
という経緯で今に至ります。
なので、今本業としている仕事は、もちろん自分がやりたくてはじめた仕事です。
じゃあ、今でも仕事が好きかと言われればわかりません。
正直、お金を稼げるなら別の仕事でもいいと思ってます。
特にこだわりがあるわけじゃないんですよね。
実は、昔から、もっというと最初から好きではなかったのかもしれません。
昔から副業に興味があったし、プロフィールの記事に書いたように、いろんなことをやってきました。
もし、生活できるレベルまで稼げたとしたら、おそらく本業もやめていたでしょう。
じゃあ、副業は好きなのかと言われれば、別に好きなわけじゃないと思います。
結論として、別に仕事好きじゃないんですよね。
生きるために仕方ないからいろいろやっているというのが本音なのかもしれません。
仮に、無理して稼がなくていい状態となったら、本当に好きなことが見えてくるのかもしれません。
よく言うじゃないですか、お金がたとえもらえなくてもやりたいと思えることが、好きな仕事だって。
幸せってなんだっけ?
自己啓発の本とか読んでいると、
「今の状態に感謝し、幸せを感じることが大事だ」
みたいな趣旨のことを伝えてくることがたまにあります。
確かに、世界では食べ物も水も手に入れるのに困っている人がいるだろう中で、今お金を払うだけで苦労なく水が飲め、食事ができることは感謝すべきことなのでしょう。
エサを探す苦労をせずに、生きられるわけですから。
でも、無理に感謝したり、幸せを感じようとするのって、それはちょっと違うと思うんですよね。
僕の考えがちょっとねじ曲がっているせいかもしれませんが、感謝や幸せって、強制的に感じようとするものじゃなくて、自然にそう感じる気持ちが沸き上がってくるものだと思うのです。
僕が自己中すぎるのでしょうか?
僕がひねくれすぎているのでしょうか?
あなたはどうですか?
この世を生きるのは辛すぎる?
僕は、昔から何かに焦っていました。
「このままではいけない」
「もっと頑張らないと」
と。
もっとお金を稼げるようになれば、
もっと自由な時間が作れるようになれば、
この焦燥感は消えてくれるのでしょうか?
こういう焦燥感に追われるのは、僕が今まで得てきた知識からすると、他人と自分を比較するからだと理由が挙げられることがあります。
でも、今の僕は他人と比較してどうのこうのは考えていないと思います。たぶん。
でも焦燥感は消えません。
僕は、この焦燥感を感じなくなったときにこそ、幸せを感じるのではないかとなんとなく思ってます。
この焦燥感がなくならないと、何事も心の底から楽しめない気がします。
別に楽しいことがないわけじゃないですよ。
ただ、楽しいと思うことをしていたとしても、「こんなことしてる場合か?」と謎の焦燥感が常に迫ってきて、心の底から楽しめた気がしないのです。
なんか暗い話を読ませてしまってすいません
もっともっと頭をかけめぐってるものはあるはずなのですが、記事にしてみるとこの程度のものになってしまいました。
いつも通りまとまりもなくてすいません。
今まで数えきれないくらい自分の考えを整理してきましたが、結局この「焦燥感」を消すことが生きる目標、幸せの目標みたいになってしまいます。
僕だけでしょうか?
むしろ、多くの人が同じ感じ?
こういった類のことは、恥ずかしくて人には基本的には伝えたくないことですが、あえて書いてみました。
この記事を読んでくれる人は少ないでしょうが、もしあなたの考えを聞かせてもらえるなら、ぜひコメントほしいです。
少ないからこそ書けるっていうのもあるけど(笑)
追伸:実は10月から休みが減る上に収入が減ることが決まっていました
後から読み返してみて、大事なことを書くの忘れてました。
それが、こんな暗い記事を生み出すきっかけです。
実は、10月から休みが減る上に収入が減ることが決まってしまったのですよ。
そもそも丸一日休みというのがなかなかない中で、ようやくこの1年で祝日は休めるという状況をつくることができていました。
しかし、いろいろあって、年末年始以外休めないことが決定してしまったのです。
自由に使える時間が減る上に収入も減る。
しかし、物価は上がる。
税金や保険料も上がる。
正直、今の生活ができない状態になるんじゃないかという不安もあり、このような記事を生み出してしまいました。
何のためにこんなに頑張って生きているのかわからなくなったんですよね。
車くらいしか趣味らしい趣味もないので、正直、普段楽しいと思えることもないです。
そりゃ「何のためにこんなに頑張って生きてるの?」って悩みが浮かんできてもおかしくないでしょ?おかしくないですよね?(圧)
自営業の身でこんなこというのもあれですが、早く自分の力で稼げるようになりたい。
今は、正直お情けで仕事をもらっている状態といわざるをえないのです。
そのために、苦しい条件も飲まざるを得ない。
お金がすべてではないですが、お金がないととれる選択肢が狭まってしまうのも事実。
しかも、僕ももう若いとはいえない。
なんともいえない焦りが加速する。
だからこそ、大家さんをやるという目標を持ち、その目標に少しでも近づくために、いろんなことに手をつけているわけです。
普段は仕事で打ちのめされ、家に帰れば家事と資金稼ぎにうごめく。
正直しんどいです。
何が言いたいか自分でもわかりませんが、今、僕はそういう状況だということをありのままお伝えしたかったのです。